広島平和記念資料館と原爆ドーム
広島旅行2日目、午前中は、平和記念資料館と原爆ドームへ行きました。とてもきれいに整備された広島平和記念公園。ホテルの目の前でした。訪れたのは、ちょうど通勤通学の時間帯で、自転車で急ぐ学生や、足早に歩く人、いつも通りの平和な日常の風景です。
ここは、原爆死没者慰霊碑。テレビでは何度も観たことのある場所ですが、訪れたのは初めてです。
公園の入り口には、広島平和記念館があります。西側の「本館」と、東側の「東館」からなっているのですが、「東館」のリニューアルが4月末に完了し、画像はただ今、リニューアル工事中の本館です。完成は来年7月予定とか。
ということで、本館閉館中は東館に展示品を移動しているようです。「導入展示」、「被爆の実相」、「核兵器の危険性」、「広島の歩み」、「被爆の実相」の展示が行われています。展示品の写真はOKで、数枚撮ってきましたが、ここではUPするのは、やめておきましょう。思うことはいろいろとありましたが、私の拙い文章と写真で語ることはできそうにありません。
1枚、展示品の写真を載せます。
原爆ドームといわれている建物のミニチュアです。原爆投下前の建物(右)と投下後の建物(左)。
原爆ドームといわれているこの建物、もとは、チェコ人のヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)4月、広島県物産陳列館として竣工したものです。ヨーロッパ風のとてもモダンな建物。当時、木造建築物がほとんどの中、この建物は、広島市民にとって大変な驚きであり、川面に映える姿の美しさとあいまって、広島名所の一つに数えられたそうです。
館の業務は県内の物産、他府県からの参考品の収集・陳列、商工業に関する調査及び相談、取引の紹介に関する図書・新聞・雑誌の閲覧、図案調製等でした。同館は、産業奨励だけでなく、会場を提供することで博物館・美術館の役割も果たし、広島の文化振興の場として大きな役割を担っていました。
館の名称は、大正10年(1921年)に広島県立商品陳列所、さらに昭和8年(1933年)からは広島県産業奨励館と改称されています。(広島市 ホームページより)
いろんな角度から原爆ドームを撮ってきましたので、貼っておきます。
赤丸が爆心地で左上が原爆ドーム。この館の場所というのが資料館。爆心地が近いのに、よく残ったものです。当時の写真を見ると、この原爆ドームの他にも、いくつか鉄骨造りの建物が残っていました。
奥に「平和の灯」が見えます。この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来、ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。早く、この火が消える日が来ることを願うばかりです。
公園内には動員学徒慰霊塔もありました。第二次世界大戦中、労働力の不足を補うため、勤労奉仕に動員され戦禍にたおれた学徒と、原爆の犠牲者を含めた約1万人の学徒の霊を慰めるために建てられたものです。そして、出身学校の名前も書かれていたのですが、広島に次いで多いのが静岡という事実に驚きました。浜松の多くの学生も犠牲になりました。
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