これ、スケジュール的には結構厳しいのよ~。2月19日までにいずれか1館以上行って、22日までに記事UPって・・・。
とういことで、急いで何年ぶりかに浜松科学館に行ってきました。ミニチャリがチビチャリの時はよく行きましたけどね~。
この前の水曜日、ランチを食べたあとに行ってきました。平日昼下がりの科学館は、ほとんど、貸しきり状態でヒッジョーにさびしぃー(笑)
入って左側にロッカーがあります。この時期、コートや小さい子供連れだと大荷物なので、これは便利!って・・・帰る時にその存在に気がつきました(笑)
まず、ロボットが迎えてくれました。興味津々のマゴチャリ。変なしゃべり方とぎこちない手の動きをジーッと見ていたのですが、だんだん恐ろしく見えてきたようで、半べそをかきだした~(笑)
科学館の中は、歩き始めたばかりの1歳3ヶ月児にとっては、見るものすべてが初めてのものばかり。あっちトコトコ・こっちトコトコ。
こんな大きなオモチャ見たことないよ~って感じで、いじってますが、中でボールがコロコロ転がってんのには気がついていない(笑)
すべり台!すべり台!すっかり遊園地気分(笑)
あれこれとご紹介したいのですが、その気持ちは満々ですが、ここで、さすが~浜松的なことをひとつ(笑)
それはテレビ!テレビの父高柳健次郎は浜松が生んだ偉大な人。
ブラウン管による電送・受像を世界で初めて成功した。送像側に機械式のニプコー円板と受像側に電子式のブラウン管を用いて、片仮名の「イ」の文字を送受像した。それは1926年(大正15年)12月25日だったそうです。
そういや、ず~っと昔、NHK朝ドラ「凛凛と」はテレビ開発のことだったな~と思い出して、調べてみたら、高柳健次郎のライバルである川原田政太郎のことだったようです。このドラマは面白かったので、私の中でNHK朝ドラベスト10に入っています(笑)珍しく主人公は男性、今は亡き田中実でした。田中実の演技も男らしくて名前はこうさん。野村宏伸やおぎのめチャンも出てましたね。大正時代のはなしでした。
そんな時代から、私達国民にテレビが普及するまでは紆余曲折、かなりの年月がかかったようです。東京オリンピックのころには各家庭にあったのかな~?調べてみたら、1953年(昭和28年)2月1日 - 日本放送協会 (NHK) のテレビ放送開始(日本での地上波テレビ放送の開始)とか。
そして浜松といえばバイクのメッカ。提供はヤマハ・ホンダ・スズキ
パワーアシストつなひき
緑色と青色のいすに分かれてすわり、ロープを引き合ってつなひきをします。中央のランプの数により両者にどのくらい力が入っているかが分かります。中央のローラーにはパワーアシストモーターが組み込まれていて、青色の方の力を半分くらい補っています。青い方にすわれば子どもでも大人に勝てるかもしれません。
マシンウォール
壁(かべ)にかかった自動車やオ−トバイの部品から、自動車の三大機能(きのう)(走る・曲がる・止まる)や、オ−トバイの内部構造(こうぞう)、動力部の構造などが分かります。
トランスミッション
自動車のエンジンの作り出した力が、車輪(しゃりん)を回転させるまでの仕組みを理解(りかい)できます
浜松科学館は面白いことてんこ盛り。プラネタリウムもありますよ~。まだ、行ったことがない人も、何度でも行ったことある人も、たのしめま~す。
あと楽器博物館とか子ども館のチケットが残っているけど、利用できるのは2月19日までって・・・もう少しゆとりがほしかったね。